「何をしているの?」の回答

「何をしているの?」というから「考えている」と返すと、「何を考えているのか?」とまた質問されるが、このような問いを持つものは、そもそも考えるということの意味がよく分かっていないものと思われる。思考する習慣もないからこういう。しかし、疑いなしに思考されるべき対象は数えきれない。未知なる問題が、海辺の砂の数ほど目の前に山積している。思考にも流れがあり、勢いがつけば一気呵成に問題を発見し、かつ解決に導くが。調子によっては、全く歯が立たないこともしょっちゅうだ。思考も気分による。思考が沈黙して口を閉ざしているときはこちらも黙って待つよりしょうがない。考えても遅々として進まなくなる一方で、急速に加速して収拾のつかなくなる場合がある。何かが欠如しているという漠然とした意識によって、あたかも頭の後ろからハンマーで殴られるかのように考えることを強制される。消耗されるエネルギーは大きく、日中の白痴のようなあるいは心神喪失のような状態になり、世間の非難と侮蔑を受ける羽目になる。いつ思考能力が亢進するのかが全然予測がつかないので、自らをコントロールするのが難しい。翻弄されることほど馬鹿げた話はない。主体的に生きているとは到底いえないのだから。そんなのは十分承知している。自我が柔軟すぎるとも考えられるが…手立てがない。