2019-01-01から1年間の記事一覧

Ameba Ownd 渋谷昌孝=zxcvbnm1972

Ameba Ownd 渋谷昌孝=zxcvbnm1972

Ameba Ownd (渋谷昌孝)

Ameba Ownd (渋谷昌孝)

曖昧な世界の住人

何も分からなくても前に進める。一般的な思考習慣では理解から次の理解へと順次運ばれる。理解が判断の基準になっている。果たしてこれは正しいのか?単なる思考習慣に過ぎないのではないか。人生は未知の闇の中を歩くようなもの。人間の認知にしても穴ぼこ…

手紙の命令

その母親は片手に乳児、もう片方に捨てるはずの手紙を持っていた。だが、ごみ箱に落とされたのは乳児の方だった。はっと意識がはっきりすると、驚いたことに「これでいいのだ」と誰にも聞こえない声で独りごちた。そうしてくしゃくしゃの手紙を広げてみる。…

集中あるいは取捨選択

濃度というものがある。肝心な部分とそうでない部分がある。資源とエネルギーは限られている。ならば力を集中投下するところとそうではないところに分離したほうがいい。分散は抑制のないばら撒きであり、集中の対極にある。方向を固めずしてその方向には進…

ムンク的なもの

私は機械ではないし、歯車でもない。機械と競争なんかしない。「しない」という人も実際はコンピュータと共存しつつ、電脳社会に呑み込まれながら透明の罠にとらえられている。身動きが自由にならない。ネットという蜘蛛の巣に捕まっている。だから言葉にな…

「商品の死」及び仕事をしている気分

労働力は商品にその姿を変えるが、仕事の見返りは商品の死、すなわち消費によってでしかない。消費とは欲求を満たすものでなくてはならず、有益で役に立つものである必要がある。この方向を無視した仕事はどんなものであれ商品の死である消費に結びつかない…

隠れるから魅力的なのですよ!

「おまえ、ちゃんと読んでいるのか?」「はい」「見当外れにも程がある」「ほんとうに読んでいるのか、と訊いているのだ」「はい。行間を読んでおりますんで…」「何が書いてある?」「虚でございます」「嘘だ!そこには何も書かれておらんぞ」「浮世は嘘にま…

限界の先端にあるものは?

=陶酔的歓喜もしくは残念ながら狂気…

超薄型なめらかフィットユニホーム液晶

人類共通のユニホームをつくりたい!裸ではなくて。魚みたいなユニホームを考える。ぴったりとしていて着ている感覚がない。おなじ外見の人ばかり。それは自由に軽々と湾曲する液晶画面のつながり。区別はハードであるユニホームにあるのではなく白紙の上に…

反ー人生の一般道

人生の一般道を歩く性分ではない。それ故に悩みは深い。だが、幸いなことに世の中は大きく変わろうとする矢先である。基盤である大地は静かに、しかし急速に動いている!社会構造と人類の心性も徐々に変わってゆく。既存の権威が崩れ去り、その欠如を新しい…

落ちたものは拾う

ピアノを練習する理由は簡単だ。ピアノの才能がゼロかそれ以上(マイナス)であることをよく了解しているからに過ぎない。落ちたものは拾う。沈んでいるものは這い上がろうと必死になる。くだらぬこだわりであることも重々承知している。しかし、論理では分か…

理解と疑問

理解力があるのはいいことのように思える。しかし、慣習と常識にどっぷり浸かっているからこそ理解が容易になるともいえる。単純に理解するということは反面、疑問をもたないからそれが可能なのだ。理解の容易さは、深淵な思考と対照的である。疑問を持たず…