ムンク的なもの

私は機械ではないし、歯車でもない。機械と競争なんかしない。「しない」という人も実際はコンピュータと共存しつつ、電脳社会に呑み込まれながら透明の罠にとらえられている。身動きが自由にならない。ネットという蜘蛛の巣に捕まっている。だから言葉にならない痼りのような異物がつき纏い、それが身から剥がれることはない。必然の結果としていい知れぬ不満と不確実性で覆われた未来に漠たる不安を抱く。ほんとうは心の底で声ならぬ声でもって叫んでいるんだ。聞こえないだけで。狂ったバイオリンがいくつも無調音楽を鳴らしている。無数の山羊の鳴き声。馬の嘶き。まったく聞こえないだけなのだ!機械と仕事をすることに慣れてしまった人間は、どちらが主でどちらが従であるのか、時間をとめて省察する価値は十分ある。時間をいったん止めてみるというのがなかなか難しく、かつ機会すらないことがほとんどなのだが。