バットモーニング

朝、目覚めると何も変わっていない。あたりまえだ。それなのにどうもおかしい。自分でもどこがおかしいのか分からない。しかし、おかしいのは真実なのだ。矛盾が矛盾でなくならない限り、これは解決しないように思われた。妻に訊いても「いつもと同じよ」とまるで頓着しない。「でもおかしいんだよ!」とわたしは不安に震える声を押し殺しながら強い口調でいい返す。「困ったわね」と返された。何をいっているのだ。困っているのは、このわたしではないか。「悪い病気じゃないの?」うん!それは正解に近づいている言葉だ。しかし違う。わたしの心臓と頭は健康そのものだ。未だかつて医者のお世話になったことがない。どこかがおかしいのにそれがどこなのか分からない。頭が変になったのなら、どうしてこうも冷静に自己を分析できよう?わたしの思考そのものがおかしくなったとも考えられるが、おかしい思考を対象として明晰な頭脳で分析しているのだから、これも除外されるべき結論だと思われる。わたしを取り巻く環境が変になっている。それでわたしもそれに感化されておかしいと感じるのではないか、とも省察してみたが、それさえ候補にならない。困った。さてさて困った。といってわたしがわたし以外の何者かに入れ替わるのも空想上の話であり現実的ではない。困るが、隣人たちは困っていることを知らないし、わたしの奇妙な不安に理解を示すこともない。結局、わたしは自己分析の強度をより一層高めることにした。それより他にどんな手立てがあるというのか?