謎と戯れる効用

たやすく理解できる事柄を理解しようとするより、理解の難しい事柄と格闘する方に多くの時間を費やす。分かることが分かるのはあたりまえ。しかしそれは、分かる範囲に無理に閉じ込める、あるいは分類することを分かったこととしている(例えば病名をつける)。水準を落とせばどんなことも理解可能になるが、これは仮の偽物を真と認めるのに等しい。分からない範囲には上限がなく、認知から離れているが、この混沌とした世界から少量を汲み取った、ほんの一部分が分かる世界で、これを了解可能とする。いずれにせよ、理解が及ばずに手が付けられていない知的世界は巨大なまま存在している。謎と戯れるのもこうした理由から。