主体を儀式に参加させる

書こうとするとき、書く主体は何者でもない。しかし現実に言葉になっている。古い儀式に似ている。儀式の流れに依存しながら儀式は段々その興奮の渦の中に包まれつつ本来の儀式になる。何でもないものが何か意図をもち書こうとするのではない。だからはじめの主体は無いと言っている。あたかも書くふりをして、書かれたものから反射されたもので、はじめて誰がそれを書いたのかが後天的に分かる。何げなく振り回したブーメランがわたしの存在を教える。確固たるものから出発するのではなく、カオスからの返事がわたしだ。投げるよりも返ってくるものがわたしを決定する。主体を儀式に参加させる。