始原言語としての絵

フロイトを注意深く読むと、映像が言葉の起源であることがわかる。夢は視覚的に記憶される。夢は、心を一時的に原始と心的退行に帰還させるので、映像そのものが古い言葉の姿を変換した等価物であると考えるのが自然に思える。夢の中では映像が言葉の介入なしに直接、無意識の思想を表現している。意識は言葉の世界に、無意識は映像の世界にと表現形式が変わる。いずれにしても絵画的なものは始原の言語である。