スマートな闇

スマートフォンを見つめている人は、光を見ているのではない。闇を見つめているのだ。欲望を検索すると次の欲望が際限なく画面に現れる。すべてがスマートフォンの中に完結している。生身の肉体はどんどん痩せ細り、精神は欲望の終わりを画面の中に探しだそうと躍起になる。すべてがこの光る闇の中に吸収される。情報は陳腐なものに成り下がり、次々と新しいニュースが余計な注意を駆り立てる。時間もさも重要な事柄を処理しているかのように無意味に空費される。忙しいのではない忙しくさせられていることに気づいていない。スマートフォンが人格の一部になりひとつの世界を形成する。こういっても言い過ぎではない。つまり、操作する人間と操作されるスマートフォンの区別はなくなってしまった。むしろ首を絞められているのは人間の方である。