安心忌避という運命

点を大きくすることに意味はない。他者という名の点を発見することに意味がある。だだし、この他者の点からは、次の新たな他者へと跳躍の連続でなければならない。理解不可能なものこそ他者であるから、他者から他者への道は、不可能から不可能への道と同様である。そこに安心は一切ない!絶対な不動は安心の源泉だが、それは存在しない。現在を生きるとは、見知らぬ地の上空をあてもなく漂っているに過ぎない。