カフカ分析

カフカを読んでいると頭が痛くなるが、その理由を考えてみた。普通の文章は、主語と述語が一義に決まる。記号で表せば、(A→B)である。これならすんなり理解できる。ところがカフカの文章は、主語が多義的で定まらず、述語も多義的で定まらない。記号で書くと、(A1’A2’A3’…→B1’B2’B3’…)と表現できるが、これでは不定不定であるという不思議な文章になって、読みながら意味が揺れてしまう。恰も、迷いながら解釈することを迫られるかのようである。理解しようと努力すると、その瞬間に理解が遠ざかるので、いつまでも意味を解釈し続ける羽目になる。これでは頭が痛くなるのも致し方ない。終わりがないし納得も期待できないのだから。