スマートな闇

スマートフォンを見つめている人は、光を見ているのではない。闇を見つめているのだ。欲望を検索すると次の欲望が際限なく画面に現れる。すべてがスマートフォンの中に完結している。生身の肉体はどんどん痩せ細り、精神は欲望の終わりを画面の中に探しだそうと躍起になる。すべてがこの光る闇の中に吸収される。情報は陳腐なものに成り下がり、次々と新しいニュースが余計な注意を駆り立てる。時間もさも重要な事柄を処理しているかのように無意味に空費される。忙しいのではない忙しくさせられていることに気づいていない。スマートフォンが人格の一部になりひとつの世界を形成する。こういっても言い過ぎではない。つまり、操作する人間と操作されるスマートフォンの区別はなくなってしまった。むしろ首を絞められているのは人間の方である。

シェア社会

低賃金時代にはシェア社会が浸透すことが望ましい。所有にこだわらずシェアできるものはすべてシェアすることで費用をかけずに生活することができる。またシェア社会が普通になることで競争が起きリース料金の押しさげに寄与するかもしれない。そもそも住宅や自動車などの所有が個人の生活を圧迫しているのだから。すでに衣と住のシェアは始まっているが食をどうするのかが課題になる。ただ銀行は困るかもしれないが。

ゆっくり待とう

重い頭を足で転がしながら歩く。重力に完敗してしまって…足で頭を蹴りながら考えるのになれてしまって…頭もそれが心地がいいらしいから。暗黙の了承を得て…ゴロゴロ地面の上で頭を転がしている。幸い丸いので転がすのは苦にならない。いっそのこと山の頂から落としてしまったらどうか?頭は重力に逆らって駆け上がることはできない。思考すら下降し浮き上がることより沈む方を好む。空想は軽く飛翔するのに、希望は羽根を持つことを忘れてしまったのか?こうなれば空想の力で希望を引き上げるしかない。しかし、それほどタフではないのは承知しているつもり。遠慮せざるを得ない。希望が羽根を見つけるのを辛抱強く待つのが、いまのところ最善策であるようだ。ゆっくり待とう。ゆっくり待とう。